建築からみた まち いえ たてもの のシナリオ
[単行本(ソフトカバー)]
建築家、貝島桃代さんの新著を読んだ
その一稿「風景の共有」の中で、
国木田独歩がその著書「武蔵野」に描こうとしたのは、いわゆる日本の伝統的な美しさを認められていた青々とした松林ではなく、雑木林の武蔵野であり。
なぜ独歩が武蔵野に美しさを見いだしたのかと言えば、それは武蔵野がありのままの自然ではなく、人々の暮らしの中にあり、人々の営みや関係性とともに変化し、まさに日本の農村の営みそのものを美しさを体現していたからだと著者は説明している。
著者が訪れた飛騨市種蔵の、棚田と雑木林と集落の点在する美しい風景は、伝統かと思いきや実はめまぐるしく変化している中での現在の姿であるということを知らされて驚いている。
(以下引用 p105)
「入会地では、春になると「山分け」をして、それぞれの家の持ち分を決めたうえで、ヒエ、粟、麦などの雑穀を育てる。四、五年してその穀物の育ちが悪くなると、広葉樹を植え育てる。広葉樹が大きくなるそのあいだ、落ち葉が腐葉土となり、土壌を肥沃にする。二十年ほど経った春、木を伐る。冬になると、雪を利用して、乾燥させた木材をそりに載せ集落まで運ぶ。そしてまた春になると、そこで山分けをするという循環である。こうした循環によって作られる多様性は、連作障害を避け、限られた山の平地を有効に活用するための知恵である。
(引用以上)
このような長い年月をかけた循環の中で育まれてきた風景が、僕が現在住む能登にもかろうじて残されている。それでも他の地域と比べればかなり残されていると言えるのだと思う。かろうじてと言うのは、そんな風景が刻一刻となくなっていく危機感を住み始めて3年という新参者の僕にもうすぼんやりと感じることができるからだ。
現代社会の中で、かつての農村のような社会を再生することは難しいが、残っている風景を持続させることを考え、それを支える社会の持続性を想像することが重要だと著者は説いている。
(以下引用 p108)
もし風景が、雑木林が混ざることによってその多様性と美しさを獲得していたのであれば、その多様性を維持する仕組みが必要である。雑木林が、かつての集落の共有地として、複数の人の手によって維持されていたように、現代における共有の仕組みを考えること、美しい雑木林の背景や方法を理解すること、そして美しい風景をつくったという共有の経験を持つことが必要だと思う。
(引用以上)
この美しい雑木林を意図してつくるということが難しい。
僕が住む集落のおばあちゃん達はとても元気で、毎日田んぼや畑仕事に忙しくしている。朝から晩まで本当に休むことなくいつも働いているのだ。そして今ある能登の美しい風景は紛れも無くそんなおばあちゃん達の日々の営みにより、手入れされることで維持されていると実感する。
果たして十年、二十年後にも僕達は美しい雑木林を見ることができているのだろうか。
元気でいつも働いている近所のおばあちゃん達を見るたびに、こころのどこかで少し不安になる。
と、こんなことを書くつもりではなかったのだ。
何しろこの本は、世界の様々なまち、いえ、たてものを独自の視点で読み解いた異常におもしろい本だったから。
しかし、「メイド・イン・トーキョー 」等で専ら都市へのインパクトのある提案をしている印象の強い著者の、田舎の風景への考察を読むことができたことがとても新鮮に感じて、思うところを書いてしまいました。