予定していた田植えの日は一日雨でした、夕方少し雨がやんだので「わく」を転がしに田んぼへ、
一通り転がし終わるとまた少し雨が降ってきました。
この「わく」を使っての田植え、転がしたばかりでは泥が水の中に舞い上がって跡がよく見えず、
時間が経って雨が降ったりすると泥が跡に沈んでこれまた消えてくるのでタイミングが難しいのです。
一夜明けた次の日は快晴でした。
朝の涼しいうちから田植え開始です。
手に取る苗はたった3本。これが稲刈り時には太い株に成長します。
よく育った長い苗です。
毎回手伝って頂く大家さんのおばあちゃん。水面と顔の近いこと。
指の腹でしっかりと苗を泥の中に抑えます。
暫しばあちゃんと2人で黙々と稲を植える。
田植機のエンジンの音が響く田植えと違い、驚くほど静かな時間。
かと思いきや、徐々にいろいろな音が耳に入ってくるを感じます。
雀、鶯の鳴き声、まだ控えめなカエルの鳴き声、風の音、泥から足を抜いてまた一歩入れる水の音、
田植えをしながらのばあちゃんの声もよく聞こえます。
さらに、手に取る苗の感触、慣れてくると自然に苗を3本指がつかみ、水の冷たさ、泥の柔らかさ、
さまざまな感覚が時間とともに体におこってくることにも気づきます。
広い田んぼを田植機でいかに効率的に植えるかということとは別の次元の時間。
こちらも毎年見る風景、ばあちゃん見習いのお二方歳の分だけリードされています。
「わく」の跡にそって、縦横稲が奇麗に揃った田んぼはとても奇麗です。
しかし「わく」をわざわざ使うということはただ見た目だけのことではないはずです。
何か他の理由があったと思わざるをえず、田植えをしながらいろいろと考えておりましたが、
それに関する考察はまた今度。
密売東京 「田んぼのマス目」
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