前回に引き続き、天竜の伐採ツアーに参加して参りました。天竜までは車で7時間となかなか遠いです。
前日入りして、地元の関係者の方々の忘年会に混ぜて頂き、
榊原商店さんのログハウスに宿泊(久々の雑魚寝状態)させていただいての参加でした。
それにしても・・
太平洋側は見事な冬晴れ(という言葉があるそうです、北陸では聞いたことがない)気温はさすがに寒いですが、お天気の良さにはびっくりしました。何しろ能登を出発したときには雪が舞っていましたから。
お月様もばっちり、下弦の月です。
下弦から新月にかけての時期の伐採が良いのだそうです。
天竜のでこぼこ山道を車でぐるぐると登ることしばらく。
伐採が行われている森の中へと到着しました。
驚いたのは森への光の差し込み具合。
適度な間隔を置いて育っている木々の間から太陽の光が海の中にいるように降り注いできていました。
人の手で手入れの行き届いた森の風景を初めて見させてもらった気がします。
一緒に参加した大学の先輩で浜松の建築家?木昭良さんと一緒に檜の木をチェーンソーで伐らせて頂きました。
このチェーンソーの切れること・・スーっと刃が木の幹に吸い込まれていきました。
幹の半分以上を切った後で、楔をハンマーで打ち込んでいきます。
この時は楔では倒れず、ワイヤーを使って引っ張ってもらうと、
すごい地響きとともに大木が目の前で倒れていきました。
その時の木が割れる音の凄まじさが忘れられません。
自分が生きてきた年数よりも長くその場で育ってきた植物を、
人間の都合で倒してしまうという理不尽さを図らずも感じました。
その日の締めくくりは、樹齢100年を超えるもみの木の伐採。
職人さんがしめ縄をして、お酒を供え、皆で手を合わせてから執り行われました。
この日倒した木は葉枯らし乾燥といって、枝葉をつけたまま一冬その場に置いておき、 自然に乾燥させて幹の水分量を少なくしておきます。そして冬があけたら枝を落として山から運び出し、また丸太の状態で乾燥させます。 その後製材し、さらに乾燥させるという気の長い作業の末、ようやく建材として使用できるという手間暇のかかりようです。
残念ながら現在では効率とコストを重視するために日本のほとんどの山では葉枯らし、天然乾燥はされていません。主流なのは伐ったその場で枝葉を落とし、すぐに製材して人口乾燥機で水分量を急激に落とし、早ければ2週間で建材として使われることもあるということです。そうやって急激に乾燥させた材は内部に割れが生じ、強度も自然乾燥のものに比べ格段に落ちるのだそうです。
強度が落ちた材は、昔の日本の大工技術である仕口や継ぎ手を作って木組みを組んで作る建築には不向きな材料となるため、金物を使用して固定する方法が現在では一般化しているという状況です。既にそれが日本の建築工法のスタンダードとなってしまった今となっては、マーケットが固定化し、法律も金物を使用しないと建てられないような状況が作られ、ハウスメーカーの価格競争がそれに拍車をかけるという悪循環。
そんな、現代の住宅事情の陰に隠れて影響を受けざるをえない、山の管理の問題なども垣間見える貴重な体験でした・・
天竜で新月伐採、葉枯らし天然乾燥を始めた榊原商店の榊原さんが、
これを読んで新月伐採を始めるきっかけとなったというオーストリアの製材屋さん、エルヴィン トーマさんの本。
木とつきあう智恵
エルヴィン トーマ (著)
前日入りして、地元の関係者の方々の忘年会に混ぜて頂き、
榊原商店さんのログハウスに宿泊(久々の雑魚寝状態)させていただいての参加でした。
それにしても・・
太平洋側は見事な冬晴れ(という言葉があるそうです、北陸では聞いたことがない)気温はさすがに寒いですが、お天気の良さにはびっくりしました。何しろ能登を出発したときには雪が舞っていましたから。
お月様もばっちり、下弦の月です。
下弦から新月にかけての時期の伐採が良いのだそうです。
天竜のでこぼこ山道を車でぐるぐると登ることしばらく。
伐採が行われている森の中へと到着しました。
驚いたのは森への光の差し込み具合。
適度な間隔を置いて育っている木々の間から太陽の光が海の中にいるように降り注いできていました。
人の手で手入れの行き届いた森の風景を初めて見させてもらった気がします。
一緒に参加した大学の先輩で浜松の建築家?木昭良さんと一緒に檜の木をチェーンソーで伐らせて頂きました。
このチェーンソーの切れること・・スーっと刃が木の幹に吸い込まれていきました。
幹の半分以上を切った後で、楔をハンマーで打ち込んでいきます。
この時は楔では倒れず、ワイヤーを使って引っ張ってもらうと、
すごい地響きとともに大木が目の前で倒れていきました。
その時の木が割れる音の凄まじさが忘れられません。
自分が生きてきた年数よりも長くその場で育ってきた植物を、
人間の都合で倒してしまうという理不尽さを図らずも感じました。
その日の締めくくりは、樹齢100年を超えるもみの木の伐採。
職人さんがしめ縄をして、お酒を供え、皆で手を合わせてから執り行われました。
この日倒した木は葉枯らし乾燥といって、枝葉をつけたまま一冬その場に置いておき、 自然に乾燥させて幹の水分量を少なくしておきます。そして冬があけたら枝を落として山から運び出し、また丸太の状態で乾燥させます。 その後製材し、さらに乾燥させるという気の長い作業の末、ようやく建材として使用できるという手間暇のかかりようです。
残念ながら現在では効率とコストを重視するために日本のほとんどの山では葉枯らし、天然乾燥はされていません。主流なのは伐ったその場で枝葉を落とし、すぐに製材して人口乾燥機で水分量を急激に落とし、早ければ2週間で建材として使われることもあるということです。そうやって急激に乾燥させた材は内部に割れが生じ、強度も自然乾燥のものに比べ格段に落ちるのだそうです。
強度が落ちた材は、昔の日本の大工技術である仕口や継ぎ手を作って木組みを組んで作る建築には不向きな材料となるため、金物を使用して固定する方法が現在では一般化しているという状況です。既にそれが日本の建築工法のスタンダードとなってしまった今となっては、マーケットが固定化し、法律も金物を使用しないと建てられないような状況が作られ、ハウスメーカーの価格競争がそれに拍車をかけるという悪循環。
そんな、現代の住宅事情の陰に隠れて影響を受けざるをえない、山の管理の問題なども垣間見える貴重な体験でした・・
天竜で新月伐採、葉枯らし天然乾燥を始めた榊原商店の榊原さんが、
これを読んで新月伐採を始めるきっかけとなったというオーストリアの製材屋さん、エルヴィン トーマさんの本。
木とつきあう智恵
エルヴィン トーマ (著)