はじめに。
能登日用百貨店とは借り物です。
もともとオリジナルはぼくの尊敬する四万十在住デザイナーの迫田司さんが、高知新聞にエッセイ「四万十日用百貨店」を連載されていました。
四万十日用百貨店 (単行本)
昨年夏、そこで紹介されていたモノを集めて開かれた、三田のレーベルギャラリーで行われた個展「四万十日用百貨店(展)」を見に行き、不遜ながら、これは能登にもいくらでもあるんじゃないかと思っていたのです。
〜以下引用〜
日々のモノには日々の記憶が刻まれている。溶け込みすぎて見えなくなったモノにこそ、その土地の暮らしの本質が潜んでいる。
(四万十日用百貨店 (単行本)プロローグ)
〜引用以上〜
昔はその土地の生活に必要な日用品を扱っているお店がその地域ごとにあり、季節の行事に特化したもの等も売られていて、その地域の生活に使われる個性豊かな道具も見ることができました。残念ながらそんなお店はだんだん見られなくなってきています。
僕自身も大半の日用道具は大手のホームセンターで購入している事実、ですが有り合わせで使っている道具にどこか物足りなさを感じている部分が常にありました。
そんな不満が決定的に顕在化したのが最近、この道具「たいぶり」を使った時でした。
「たいぶり」とは能登島えの目町のおばあちゃんの言、他にも「たいべら」「たーべら」、もともとは"田のへら"の意味だろうということでした。
この「たいぶり」、今の田植えシーズンには必需品です。
この辺りではだいたいGW前、田植えの前に田起こしをして代掻きをします。
その際に田んぼの中にできた高低差をなくし、田んぼを平らにする作業を今では部分的にこの「たいぶり」でするのです。
(大半は機械でならしてしまいまい、機械の入らないところを手作業でならします。)
こちらはその現代版、まさに工業化時代の産物。
オールアルミ。押し出し部材をボルトで組み合わせただけのシンプルイズベスト。
バウハウス張りのデザインです。
名前はアルミ代掻きと書いてあります。
ちなみにどちらもぼくの大家さんの持ち物。
先日の代掻きのお手伝いの時、ぼくは最初に木の「たいぶり」を手に取ってみました。
しかしまずその重さが気になり、すぐにアルミ代掻きに持ち替えたのです。
こちらは思った通りの軽さ。そしてそのままその日はアルミ代掻きを使い続けました。
日は変わり、一昨日の田植えのお手伝いの時。
田植機がUターンする箇所がえぐれてしまうのでまたまた「たいぶり」の出番でした。
その時に一緒に手伝っていた地元のSさんが迷わず木の「たいぶり」を手に取って作業を始めたのです。思わず聞きました、なんでそっちを使うのかと。
答えはいたって簡単、こっちのほうが断然使いやすいよ。ということでした。
そしてすぐに、自分で試してみたところ、目から鱗が落ちました。
重さを感じていた木の「たいぶり」が、田んぼの中ではなんと滑らかに動くことか!
この使いやすさに比べるとアルミ代掻きはもはや道具とは呼べない使いづらさ。
押しても引いてもアルミの小口が泥に深く切り込み過ぎて動かせなくなってしまうのです。
よくよく見てみると「たいぶり」はすべての部分が真っすぐにはできていません。
持ち手の柄も大きく湾曲していて左利きの人はまず使えないでしょう。
田を押すへらの部分の土にあたる角度も絶妙、木の重さとしなりが土の反発で浮いてくるのを防ぎ滑らかに土を押すことができます。
この「たいぶり」は大家さんのおばあちゃんが嫁にきた時にはあったということなので50年前からはずっと使われてきたということになります。
そんなに前から使われてきたこの道具が、使いづらいアルミの道具に取って替わられているという(まさに自分が取って替えようとしていた)この現実に唖然としました。
そう思えばどれだけの道具が、生産性とコストに優れているばかりの道具に替えられてきたのだろうかと、想像するだけで空恐ろしい・・
だけれど僕自身はこの「たいぶり」の感触を知ってしまった後、アルミ代掻きで我慢することはできないと思いました。
とは言え、「たいぶり」が活躍できるのは一年のうちこの時期だけ、田んぼの機械が入れないスミの部分だけなのですがね・・
こういう道具達がなくなっていかないことを切望します。
能登日用百貨店とは借り物です。
もともとオリジナルはぼくの尊敬する四万十在住デザイナーの迫田司さんが、高知新聞にエッセイ「四万十日用百貨店」を連載されていました。
四万十日用百貨店 (単行本)
昨年夏、そこで紹介されていたモノを集めて開かれた、三田のレーベルギャラリーで行われた個展「四万十日用百貨店(展)」を見に行き、不遜ながら、これは能登にもいくらでもあるんじゃないかと思っていたのです。
〜以下引用〜
日々のモノには日々の記憶が刻まれている。溶け込みすぎて見えなくなったモノにこそ、その土地の暮らしの本質が潜んでいる。
(四万十日用百貨店 (単行本)プロローグ)
〜引用以上〜
昔はその土地の生活に必要な日用品を扱っているお店がその地域ごとにあり、季節の行事に特化したもの等も売られていて、その地域の生活に使われる個性豊かな道具も見ることができました。残念ながらそんなお店はだんだん見られなくなってきています。
僕自身も大半の日用道具は大手のホームセンターで購入している事実、ですが有り合わせで使っている道具にどこか物足りなさを感じている部分が常にありました。
そんな不満が決定的に顕在化したのが最近、この道具「たいぶり」を使った時でした。
「たいぶり」とは能登島えの目町のおばあちゃんの言、他にも「たいべら」「たーべら」、もともとは"田のへら"の意味だろうということでした。
この「たいぶり」、今の田植えシーズンには必需品です。
この辺りではだいたいGW前、田植えの前に田起こしをして代掻きをします。
その際に田んぼの中にできた高低差をなくし、田んぼを平らにする作業を今では部分的にこの「たいぶり」でするのです。
(大半は機械でならしてしまいまい、機械の入らないところを手作業でならします。)
こちらはその現代版、まさに工業化時代の産物。
オールアルミ。押し出し部材をボルトで組み合わせただけのシンプルイズベスト。
バウハウス張りのデザインです。
名前はアルミ代掻きと書いてあります。
ちなみにどちらもぼくの大家さんの持ち物。
先日の代掻きのお手伝いの時、ぼくは最初に木の「たいぶり」を手に取ってみました。
しかしまずその重さが気になり、すぐにアルミ代掻きに持ち替えたのです。
こちらは思った通りの軽さ。そしてそのままその日はアルミ代掻きを使い続けました。
日は変わり、一昨日の田植えのお手伝いの時。
田植機がUターンする箇所がえぐれてしまうのでまたまた「たいぶり」の出番でした。
その時に一緒に手伝っていた地元のSさんが迷わず木の「たいぶり」を手に取って作業を始めたのです。思わず聞きました、なんでそっちを使うのかと。
答えはいたって簡単、こっちのほうが断然使いやすいよ。ということでした。
そしてすぐに、自分で試してみたところ、目から鱗が落ちました。
重さを感じていた木の「たいぶり」が、田んぼの中ではなんと滑らかに動くことか!
この使いやすさに比べるとアルミ代掻きはもはや道具とは呼べない使いづらさ。
押しても引いてもアルミの小口が泥に深く切り込み過ぎて動かせなくなってしまうのです。
よくよく見てみると「たいぶり」はすべての部分が真っすぐにはできていません。
持ち手の柄も大きく湾曲していて左利きの人はまず使えないでしょう。
田を押すへらの部分の土にあたる角度も絶妙、木の重さとしなりが土の反発で浮いてくるのを防ぎ滑らかに土を押すことができます。
この「たいぶり」は大家さんのおばあちゃんが嫁にきた時にはあったということなので50年前からはずっと使われてきたということになります。
そんなに前から使われてきたこの道具が、使いづらいアルミの道具に取って替わられているという(まさに自分が取って替えようとしていた)この現実に唖然としました。
そう思えばどれだけの道具が、生産性とコストに優れているばかりの道具に替えられてきたのだろうかと、想像するだけで空恐ろしい・・
だけれど僕自身はこの「たいぶり」の感触を知ってしまった後、アルミ代掻きで我慢することはできないと思いました。
とは言え、「たいぶり」が活躍できるのは一年のうちこの時期だけ、田んぼの機械が入れないスミの部分だけなのですがね・・
こういう道具達がなくなっていかないことを切望します。
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